こんにちはmayaconです。
あなたには”心配な人”がいますか?
もしくは、家族や恋人、友達などあなた以外の誰かから心配されていると感じたことがあるでしょうか。
それとも自分自身のことで、何か心配ごとがありますか?
相手や自分自身のことを思って心配する、これってじつは愛情表現でも自分を大切にすることでもないのです。
今回は、スピリチュアルから見ると心配が愛ではないことについてお伝えさせて頂きたいと思います。
心配とは?
心配とは、ものごとや相手、自分の先行きなどを気にして心を悩ますこと、言い換えると”まだ起きていないことを想像して気に病む”ことです。
相手が怪我をしないか心配する、人に迷惑をかけないか心配する、自分から離れて行かないか心配、将来やっていけるか心配、お金が稼げるか心配・・・例をあげるとキリがありません。
このような”心配をする”ということの先に待っている答えは、心配となるようなネガティブな出来事に他ならないのであります。

これは人類が長い間、生きていくうえでさまざまな危険から身を守る防衛本能として培(つちか)ってきた思考とされていますので、疑問を持つこともなく”当たり前”として認識していることと思います。
親が子供を心配するのは当たり前、自分の将来を心配するのも当たり前、先のことを心配して備えておくのも当たり前・・・心配を当たり前として受け入れているのです。
けれど、そろそろこの当たり前とさよならするタイミングが来ているのであります。
時代は土の時代から風の時代へと大きな転換期を迎えました。
心配を手放して自由に何事にもとらわれず、自分自身を生きる、そんな生き方に時代は変化したのです。
そしてこれからもどんどん変化していきます。
古くから植え付けられてきた、常識だと思い込んできたことに違和感を持ったときは、迷わず手放すことが重要なのであります。
心配から起こること
心配すること、それは相手の自由や自分の意志を”殻に閉じ込める”のと同じことです。
心配する(される)ことによって、相手もしくは自分自身の中でだんだん不安や恐れといったネガティブなエネルギーが増殖していき、やがて自身の行動を制限するようになります。
そうしていくうちに、本来持っていたはずの直感や何でもできる自分を忘れてしまうのであります。
これが『眠りの状態』に入っていくことなのです。
眠りの状態に入ると、思い通りにならない世界をひたすら体験することになります。

心配は愛情表現ではない
心配は相手のことを思うからするんだ、愛があるから心配するんだ、どうでもよければ心配などしない、と思われますか?
この思考には大きな勘違いがあるのです。
スピリチュアルな側面からすると、そもそも私たちはいろんなことを経験したくて、この地球に生まれてきているとされています。
怪我をすることも、傷つくことも、悩みもがくことも、楽しむことも、喜ぶこともすべて魂が決めて生まれてきているのです。

その経験から何かを得て、魂を成長させるために自分で決めて生まれてくるので、自分で許可したこと以外は経験しないようになっているのであります。
魂が決めてきて経験していることを、心配だからといって咎(とが)めてしまうのは愛ではないのです。
心配しないとどうなる?
心配することをやめたらどうなるのか?
心配しないこととは、”相手を信じ切る”ということです。
相手を信じて見守ること・・・放置するとか無関心になるのとは違います。
”暖かく信じて見守る”です!
私たちは自分が信じてもらえていると感じた時、自信を持ち大きな喜びを感じることができます。
そこに愛を感じ、その愛に答えたいという気持ちになるのです。
そして物事に対しても積極的になっていきます。
信じるということは、大きな愛に繋がる不思議な魔法なのです。

まとめ
今回の『心配は愛じゃない』というお話の内容は、”神様が見える子供たち”のトキ君のお話を参考にさせて頂きました。
私なりの解釈も含めてお伝えさせていただいております。
心配というのは人だけに限らず、お金や病気の心配などもあるかと思いますが、お金にも同じことが当てはまるのだそうです。
お金の心配ばかりしていると”心配は愛ではない”のでお金も逃げて行ってしまいます。
反対に病気だけは心配していると来てしまうとのこと・・・嬉しくて友達を連れてきちゃうらしいですので気を付けましょうw
心配の先にある答えは、ネガティブな出来事・・宇宙の答えはOKしかありません。
心配していれば宇宙はその答えであるネガティブにOKといいます。
そしてネガティブがやって来るというのが、宇宙の法則です・・・
そんなことは願わないように!
何より信じることは大切な愛情表現です。
何かを心配してしまったら、”とりあえず○○は大丈夫”と信じてみましょう。
最後までご覧頂きありがとうございました!